その昔、遼東半島の南に位置する大連は青泥窪(チンニワ)と呼ばれる小さな漁村であった。
1898年、帝政ロシアの租借地となって、旅順の軍港とともに貿易港として大きな発展を遂げる。
日清、日露戦争後、1931年の満州事変によって「満州国」として長く日本の管理下におかれ、日本から大陸への玄関口として数多くの日本人を迎え入れていた。戦争の狭間で歴史を歩んだ大連は解放後、上海に次ぐ第2の港として発展を遂げる。
大連全市の総面積は、12,415Ku、人口は、535 万人、市街区の面積は、2,415 Ku、人口は、250 万人 の市民が暮らしており、アカシアの木々と緑の山々、気候も東北地方では温和で、かって満州にやって来た日本人たちが最も愛した、美しく優雅な町です。
満州国時代、日本と結ぶ港町だった大連の市内の中心部がほとんど日本人街であったため、日本人が建てた建物が今も数多く残っています。 |