HOME大連紀行 T>大広場周辺 大広場周辺
(現・中山広場)
更新:2001/10/01
部の画像は2001年9月15日の再訪問により入れ替えたり、追加しました。


大広場は、帝政ロシアのダーリニー時代にヨーロッパのパリ市街をモデルとして計画されたニコライフスカヤ広場を踏襲した円形広場である。
日露戦争後(1905年)、広場に面する10区画の内7区画に日本の機関で大連を代表する建物が建てられていました。
広場からは放射状に街路が延びそれぞれに、奥町、敷島町、山縣通り、東公園町、薩摩町、播磨町、越後町、西通り、駿河町、大山通り等の名前がつけられていた。
現在、周りは高層ビルに囲まれてきたが、ロシア人が立てた都市計画をもとに日本人が街路と建物を作った歴史は保存され、また活用されてます。
1987年頃の大広場の風景です。
1987年頃の大広場
かっては、樹木が茂り木陰がありましたが、今は全面芝生の新しい広場に生まれ変わっています。


建物についての詳細説明は、河出書房新社:西澤康彦著『図説「大連都市物語」』を参考にさせていただきました。
大広場周辺の主な建築物
大広場マップ

2001/09/15 に再び訪問したときの写真に置き換えました。

@ 中国銀行大連分行(現・中信実業銀行大連市分行)

大広場に面して建てられた3番目の建物。
清朝の戸部(大蔵省)によって設立された大清銀行(のちに中国銀行)の大連支店であった。
1910年6月竣工
(2001/09/15撮影)
A
大連市役所(現・中国工商銀行)

設計は関東都督府土木課長の松室重光氏。
中央の塔は京都・祇園祭りの山車(だし)をヒントに設計されたといわれる。玄関に唐破風など和風建築の伝統的意匠が施されている。
1919年竣工
(2001/09/15撮影)
大連市役所

京都・祇園祭りの鉾(ほこ)をヒントに設計された中央の塔。

(2001/09/15撮影)
大連市役所

玄関の唐破風建築。

(2001/09/15撮影)
B 大連ヤマトホテル(現・大連賓館)

満鉄直営のホテル、ルネッサンス様式の3層からなる建築物として完成度が高く、満鉄本社の建築組織が設計した。
大連一の格式を誇るホテルとして、大広場に君臨していた。
現在も「大連賓館」として大連一の格式を保っている。
1909年起工〜1914年年竣工
(2001/09/15撮影)
C イギリス領事館 1997年9月にはまだありましたが、2001年9月にはありませんでした。
D 大連民政署(大連警察署)(現・遼寧省対外貿易経済合作庁)

大広場に面して最初に竣工した官衙建物である。
レンガ造2階建てで、中央に時計塔を配している。
1908年3月竣工、設計:大連軍政署の前田松韻技師。

(2001/09/15撮影)
E 朝鮮銀行大連支店(中国人民銀行大連市分行)
設計:中村與資平
1920年竣工
(2001/09/15撮影)
F 関東逓信局(現・大連市郵政局)
設計:松室重光
(2001/09/15撮影)
G 横浜正金銀行大連支店(現・中国銀行遼寧省分行)

大広場に面して2番目に竣工した建物。
中央にそびえるバロック・ドームは横浜正金銀行本店を模したと言われている。
設計:妻木頼黄
竣工:1909年12月
(2001/09/15撮影)
H 大広場小学校 大広場小学校(現・第16中学校)
1908年に新築された大連の最初の小学校。
設計は小野木孝治(満鉄本社建築係長)が関東都督府の嘱託技師として設計。
当初は「大連小学校」のちに「大連第一小学校」となり、いったんは「大連高等小学校」となったのち、「大広場小学校」と改称された。帰国直前に通っていました。
現在は「大連市第十六中学」となり新しい建物となってますが、昔の校舎が倉庫となって残ってました。



その他の大広場周りの風景
大連市役所夜景 ライトアップされた大連市役所
(現・中国工商銀行大連市分行)
路面電車 現在も活躍する路面電車
満鉄の子会社“大連電気鉄道”により1908年に市内の交通機関として営業はじめた。
総延長67キロメートル余であった。
大連医院本館 大連医院本館
満鉄の社員の厚生施設として開設された。
設計施工は、米・フラー社が起工までしたが途中撤退した、その後大連の高岡久留工務所と長谷川組が請け負って1925年に完成した。
(現・大連鉄路分局医院)
大連駅
外観は上野駅や小樽駅に似ているといわれている。
1937年開業。
(2001年9月15日撮影)
帰国直前に住んでいたアパート。
吉野町、大田ビル。
浪速町の幾久屋百貨店の裏にありました。
2001.9.15現在も実在して、人が住んでました。

アパートのお隣が、浪速町で万年筆博士のお店を出していた山本さん、いつも大山通りを通り大広場を横切って、大広場小学校に通ってました。

上葭(かみよし)は小学校入学して終戦後1年まで、ここは引き揚げまでの大連最後の住居でした。
(2001年9月15日撮影)

戻る