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懐かしい大連の市街を船上から見る。
朝9時頃でしたが霞んでました。天気はよかったのですがスモッグかな?
9月15日10:00きっかり接岸しました。
歓迎の横断幕で迎えていただきましたが、あれっ、我々はいつの間にか北九州市友好之船訪中団になったのか?。
歓迎が寂しいのは、埠頭のゲートから中には、現地の人々は自由に入ることが出来ないためです。
接岸した埠頭は第2埠頭ではなく、随分離れたところでした。
ゲートまで歩いて10分位掛かりました。
今回の大連訪問では、大連在住の友人「孫」さん、日本にいる友人呂さんのお友達の「王」さんにお世話になりました。お陰で今までにない有意義な大連・旅順を過ごすことができました。白酒の美味しかったこと・・・

上葭小学校通学地域地図による蔦町周辺

通学地域地図・蔦町ロータリー付近
蔦町ロータリーがすべての目標でした、しかし今回はなかなか見つからず
随分探しました。旅大道路、芙蓉高女を基準に探しましたが見つからず、
ついに交番まで入って尋ねたりもしましたが、無理ですよね。でも見つかりました。

@やっと見つけた旧交番。ここが場所の原点でした。
4年前と同じように、静かに佇んでましたが、ロータリーの周りは再開発の最中でした、後何ヶ月かの運命のようでした。

A満鉄独身寮・望洋寮、今も使われているようでしたが、周りには工事用車両が多く、解体の運命が近づいているようです。
  

B満州NTT独身寮・誠明寮。
隣の満鉄倶楽部・満鉄消費組合・満鉄独身寮の対山寮は高層マンション建設中でした。

C満鉄社宅だったと思います。
山口さんの家から3棟位残ってましたが、解体寸前。
 

Dやっと見つけた我が家のあった場所。
4年前には場所の特定が出来ませんでしたが、通学地域地図により、特定できました。マンションの前庭となってました。

蔦町ではありませんが、下萩町の同窓生「原」さんの辺りです。
「ノーラ」さんにしか判らない話です。
 
もっと沢山の上葭小学校付近の写真を撮ったのですが、画像を失ってしまいました。残念・・・


大連西郊度假村(西郊リゾート村)
大連市の西の郊外の山中に日本占領時代に作られた「西山ダム」があり、最近そこに西郊度假村(西郊リゾート村)ができ、中に「民族村」がありました。中国には五十いくつかの民族が住んでいて、代表的な少数民族の建物など風俗を勉強することができます。
この村の説明はガイドをしていただいた「王」さんから聞いていましたが、ほとんど忘れてしまいました。今一度問い合わせて書き直します。

村の中心にあるホテル「西郊賓館}
  
  

当日ここで少数民族のイヴェントが予定されてましたが、サッカーの試合に観客が動員されてしまい、中止になりました。

  

清真寺

摩族の住宅
一軒に玄関が3っつあり、まん中が両親の家
結婚すると、夫婦が両隣に別々に住むという
摩族の風習。

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