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朝鮮半島を巡る当時の状況。
清国は朝鮮を属国と考えていた、また、ロシアは、朝鮮に対し野心を示していた。
日本は、自国の安全を保つために、朝鮮の中立を望んでいた。
朝鮮の中立を保つため日本と清国の勢力の均衡をはかろうとしたが、清国は暴慢であくまで朝鮮に対する己の宗主権を固執していた。ロシアも又朝鮮に対し保護権を主張していた。
帝政ロシアはすでにシベリアをその手におさめ、沿海州、満州をその制圧下におこうとしていた、その余勢を駆ってすでに朝鮮にまで影響を及ぼそうという勢いを示していた。
日本は「朝鮮の自主性を認め、これを完全独立国家にせよ」と主張していた。
朝鮮半島が他の大国の属国になると、玄界灘を隔てるだけで日本は他の帝国主義勢力と隣接せざるを得なくなる。
このため、1885年(明治18年)日本は全権大使、伊藤博文を天清に送り、天津条約を締結した。 |