6月26日(木) 最終日だ。 来るときに持ってきたスーツケースが到着したときに壊れていたので、こちらで購入することにした。 アルバカーキには背の高いデパートが無いようだ、郊外のようなところを随分探し回った。 イトーヨーカドーのような2階建てのショッピンッグセンターがあった。 その後、Mr,Ryan のお母さんの事務所にコピーを借りに行く。 アルバカーキで一番高い建物23階建ての22階にその事務所はあった。 医療専門の弁護士事務所を開いているとのことだった。 そのフロアーには、個人用のブースが沢山並んでいてほとんどが、1人用であった。 事務機器は共用のようだ。 今夜の食事はアメリカで、タイ料理だ。(でもこれがアメリカで一番美味しかった) 食べきれないほどの量だったので余った料理はパックに積めてテイクアウトしていた。これは日本も同じだな。 |
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幸せそうなMr,Ryan の両親。 親父は西部のカウボーイのようだ。 |
6月27日(金) アルバカーキ発 6:10 UA418便の乗るため、起床3:00、ホテル出発3:30。 空港に着いたときはまだ、チェックインカウンターは開いて無かったが、10分ほどで、目をこすりながら受付嬢やオッサンが出てきた。 搭乗手続きで日本と違うことがある、機内預けの手荷物の検査を日本では搭乗手続きの前に自分で済ますが、この検査はアメリカでは無い、預けたあと航空会社が勝手にやるそうだ、怪しいものが見つかったら荷物を空けて調べるそうだ、鍵が掛かっていたら壊すそうだ。 その代わり人体検査は執拗だ。靴まで脱がされてレントゲン。 アルバカーキからデンバーまでは予定通り、1時間10分のふらいと。 デンバーで45分の待ち合わせ。 デンバー発 UA493 にてサンフランシスコへ向う。サンフランシスコまで2時間半のフライトだ。 B757 は滑走路に向って誘導路を進む、ところが途中で左側エンジンからバーンという音が聞こえた、その後セルモーターを廻すようなおとが聞こえてエンジンが再起動した。暫くすると機は停止した。機内放送ではエンジントラブルでこれから修理をするとのことでそのまま止まっていた。 30分過ぎ、ボーディングブリッジは引き返し修理を行なうが、その後飛べるか、運行中止になるか不明だという。 乗客の全ての人々が機内から降りた。 サンフランシスコで乗り継ぎの待ち合わせ時間は2時間20分ほどある。この時間を利用してお土産など購入を計画していた。 もしサンフランシスコでの乗り継ぎに間に合わなければどうするか、通訳のMr,H 氏が色々聞いていた。 もしそうなれば、サンフランシスコに1泊だ。ラッキー!少しは観光も出来ると心の中で喜んでいた。 2時間半ほど遅れて出発することになった、乗客の1/3位は減っていた。これではほぼ乗り継ぎは出来ないと内心思っていた。 SFO(サンフランシスコ)では地上案内人が搭乗案内のモニターを見ろという。モニターを見るとUA809便はまだ出発して無いという・・・・・ああ夢破れたり。 搭乗口まで走った。待ってて呉れた。急いで乗れという。????出国審査は????。 機内の人となるが、周りは皆ぐっすり寝ている人が多かった、待ちくたびれたのでしょう。 というわけで、帰りのSFO空港はひたすら走っただけ、帰りの便には日本人客席乗務員がいて、日本語の案内もあった。 帰国時の入国審査でアメリカでの出国審査が無かったことを告げたが入国審査官は「米国ではそのようなことが時々あるようですね」といっていた。 その後、英国人の通訳Mr,H 氏がどこかに問い合わせ、アメリカの入国カードをまとめて返還してくれる係りの人を見つけてきた。 アルバカーキのホテルを出て、我が家に到着するまで約30時間掛かりました。 アルバ・・・は遠かった。 |