浅草・日光・福島の旅

1999/06/12 〜 1999/06/16

浅草
「上葭会」に出席するため上京し、少し早めに出て浅草見物、総会は浅草のホテルでした。

雷門 雷門

仲見世1 仲見世


浅草寺 浅草寺


日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)
輪王寺という寺はありません、日光山内のお堂などの仏教に関する物の総称で輪王寺と呼んでいます。
比叡山延暦寺、東北比叡寛永寺と並ぶ天台宗三山のひとつです。

輪王寺 三仏堂
日光山輪王寺本堂。重層入母屋造りの日光山最大の伽藍です。
平安朝の初期に、慈覚大師が来山されたおりに、任明天皇の勅願によって創建されたもので、天台密教形式の伽藍。
馬頭観音・阿弥陀仏如来・千手観音の三仏が安置されてます。8.5メートルの木造金箔像です。
内部での僧侶の説明は、仏様や建物の説明はそっちのけで、風水のお札の販売に一生懸命でした。商業に徹しているのでしょうかねー。

護法天堂 ここは、護摩を焚くお堂で鉄筋コンクリート造り。
ここの説明も、数珠の販売に一生懸命でした。


日光東照宮
東照宮という神号は、徳川初代将軍家康公の死去後、後水尾天皇から、正保2年(1645年)に贈られたものだそうです。それ以前は東照社と呼ばれていました。
家康公の死後、遺言に従って家康公の息子2代将軍秀忠は、日光に廟を作りました。しかし廟の規模が小さかったため家康公の孫の3代将軍家光公は、寛永元年(1636年)大規模なものに再建しました。
東照宮には徳川家康のほかに、源頼朝、豊臣秀吉の三公が祭られています。

集合写真 先輩(第2回生)の同期会に参加させていただきました。
皆さん、優しくて楽しく過ごさせていただきました。

陽明門 高さ11m、間口7m、奥行き4mの12脚門で、1日中見ていても決して飽きないということから、別名「日暮門」とも呼ばれています。
この門には装飾彫刻が500あまりも施されています。
前面上部の額は、後水尾天皇より賜った「東照大権現」の額で、東照宮という名は、これから来てます。
また陽明門より奥は明治維新まで庶民は入ることが出来ませんでした。
陽明門の12本の柱のうち1本は模様が逆さまに彫られています。これは魔よけのために故意にそうされたものです。

陽明門詳細 陽明門彫刻の詳細

神厩舎 神厩舎は東照宮境内唯一の素木造りで、長押には猿の一生を描いた彫刻があります。 猿が馬を病気から守るという言い伝えから飾られたもので、猿の姿を借りて人間を風刺していると言われてます。

三猿 2番目の長押に彫刻されている三匹の猿。
見ざる、言わざる、聞かざる


眠り猫 眠り猫
長押の牡丹の花の下で眠っている猫の小さな彫り物です。左甚五郎の作と言われていましたが、真偽の程はわかりません。
この左甚五郎という人物は後世の創作であるという説があります。左甚五郎の作であるという根拠も無く、さらには他に左甚五郎の作と言われる作品も無いそうです。
裏側にはスズメの彫刻があります。

薬師堂 鳴龍で有名な薬師堂
天井に龍が描かれていて、その下の特定の場所で拍子木を打つと共鳴音があたかも龍が鳴いているように響きます。


福島
先輩達の同期会の旅行「日光・鬼怒川温泉」から別れて福島の裏磐梯に旅して来ました。
福島駅からレンタカーで「磐梯吾妻スカイライン」「磐梯吾妻レークライン」「桧原湖」「五色沼」を経て「中の沢温泉」で一泊、翌日は「猪苗代湖」「会津若松・鶴ヶ城」と観光して来ました。
途中デジカメの調子が悪くなり、画像が少なくなりました。

東吾妻山? 吾妻小富士の写真を撮ろうとしましたが、あいにく天気が悪くよく見えませんでした。
代わりに道の反対側の東吾妻山です。今でも噴気が上がってます。
磐梯山は明治21年(1888年)に大噴火し、その溶岩流によってせき止められて桧原湖をはじめ、小野川湖、秋元湖、五色沼など大小300余りの湖沼群が出来た。


桧原湖 桧原湖
裏磐梯最大の湖。

毘沙門沼 毘沙門沼
桧原湖、小野川湖、秋元湖にはさまれて点在する大小40余りの湖沼群を総称して五色沼という。
五色沼の中で最も大きい沼が毘沙門沼で深い青緑色をした湖面です。
正面遠くに見える山が磐梯山。

鶴ヶ城 鶴ヶ城
今からおよそ600年以上も前、芦名直盛によって築かれた城、当時は東黒川館と呼ばれ、その後、蒲生氏郷が本格的な七層の天守閣を完成させ、名前も鶴ヶ城となった。
戊辰戦争では会津軍がこの城に立てこもり、1ヶ月に渡る篭城戦の末落城、昭和40年に復元された。

鶴ヶ城内堀 鶴ヶ城内堀

廊下橋 廊下橋
東より入る敵への戦略的な橋で、敵が押し寄せた場合は、切り落とすことが出来る。


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