| update 2007.10.27 |
| 7月29日 洛陽 |
| 7月29日(日) 洛陽 | |||||||
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| 龍門石窟 | |||||||
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竜門石窟は、北魏の孝文帝・元宏年間(471〜499年)に造営がはじめられた。その後も東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐、五代、北宋などの歴代王朝が、400年以上も開削をつづけてきた。そのうち、北魏と唐の時代に造営されたものが最大の規模である。竜門の洞窟で、北魏時代のものは全体の30%、唐代のものが60%を占めている。その他の時代に造られたものは、わずか10%ほどである。 統計によれば、竜門に現存する石窟は2345、石像は11万体あまり、仏塔は70以上、銘文や図などが刻まれた石碑は2860あまり、残されている文字史料は30万字以上。中国においても、古い石碑がもっとも多いところだという。2000年11月、竜門石窟はユネスコの世界文化遺産リストに登録された。 |
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![]() 対岸から望む龍門山南部、手前は伊河 |
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![]() 龍門 |
![]() 龍門橋 |
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北魏時代に造られた洞窟のうち、代表的な「賓陽洞」という洞窟は皇室の風格をもった典型的な洞窟でもある。「賓陽」という名は、「太陽を迎える」という意味である。洞窟は、南洞、中洞、北洞の並列した三つの石窟からなり、北魏の宣武帝がその父・孝文帝の功績をたたえるために造ったものだ。
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![]() 賓陽3洞、(賓陽北洞、賓陽中洞、賓陽南洞) |
![]() 賓陽洞の中洞入口左の壁面刻されている「伊闕仏龕碑」 痛みがひどいらしくレプリカが置かれてました。 |
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古陽洞は、竜門で初めて開削された石窟なので「竜門第一窟」とも呼ばれている。竜門石窟のなかで、もっとも仏教的な内容に富み、書道芸術にも優れた洞窟である。洞内は柵で囲まれて立ち入り禁止となっていたが、特別許可(料金350元・¥5500円)を払って拝観した。勿論撮影禁止であったが・・・・・ |
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![]() 古陽洞入り口(入場料350元:\5500) |
![]() 古陽洞内部 |
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![]() 古陽洞北壁の始平公造像記 |
![]() 古陽洞南壁の孫秋生造像記 |
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竜門西山の南部の山腹にある「奉先寺」は、盛唐時期に造営されはじめ、唐の第3代皇帝・高宗の上元2年(675年)に完成したとされている。高宗がその父・太宗の冥福を祈るために造ったもので、武則天(則天武后、高宗の皇后)の資金援助もあったとされる。もとは「大盧舎那像龕」と呼ばれたこの露天大龕は、南北の幅が約40メートル、東西の奥行きも約40メートルと、竜門石窟のなかでも最大の石像である。
その大龕には、大型の立体彫像があわせて9体造られている。正面壁中央に主仏の盧舎那仏が、その左に弟子の迦葉菩薩と文殊菩薩、右に弟子の阿難菩薩と普賢菩薩がそれぞれ配されている。南北両壁には、天王と力士が一体ずつ彫られている。 慈悲深い顔立ちの盧舎那仏は、高さ17.14メートル。仏経において、盧舎那仏とは「諸悪をとり除き、衆徳をそなえ、浄色があまねく法界(衆生の本性)を照らす」という意味をもつという。そしてそれは、老成して慎重な迦葉、温厚でかしこい阿難、おだやかで美しい文殊と普賢、勇猛果敢でりりしい天王、勢いのある力士とともに、規模壮大な芸術群像をつくり上げ、盛唐時代の高度な文化を現している。 |
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![]() 奉先寺洞の盧舎那仏 |
![]() 『竜門20品』の1品である慈香窟の比丘尼慈香慧政造像記。 柵外から垣間見えた造像記の一部分。 |
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| 香山寺 | |||||||
![]() 伊水を挟んで東側の龍門東山のある香山寺 |
![]() 香山寺の境内にある「天壬殿」 |
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| 洛陽博物館 | |||||||
![]() 洛陽博物館 |
![]() ![]() 唐三彩の陶器 |
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| 白馬寺 | |||||||
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白馬寺は中国仏教の発祥の地と言われている。 後漢の時代、インドから摂摩騰、竺法蘭という高僧が白馬に経典と仏画を持って洛陽に入り、朝廷に迎えられた。紀元68年に白馬寺は、皇帝・明帝が彼らのために建立したものでのちに、白馬寺と呼ばれるようになった。(後漢書・西域伝) |
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![]() 白馬寺山門 |
![]() 山門の前の白馬の像 |
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