2007年中国 西安・河南省の旅 update 2007.10.27

7月29日 洛陽
7月29日(日) 洛陽
 洛陽は黄河の中流域・河南省の北西部にあり、人口約620万人。洛陽には夏、商(殷)、東周、後漢、魏、西晋、北魏、隋、唐など計十三の王朝がおかれ、中国七大古都(北京・南京・杭州・西安・洛陽・開封・安陽)の一つである。
陝西省西安から河南省の古い都市を巡るルートは「王朝街道」と名付けられている。
現在の洛陽は、観光都市、工業都市として発展している。さらに、隋の時代から牡丹の名所として知られ、牡丹城とも言われる。
 中国の三大石窟(敦煌の莫高窟・大同の雲崗石窟)に数えられ、世界遺産にも登録された壮大な石窟寺院「龍門石窟」は伊河添いの岩山に約1キロにわたって、二千以上の石窟と十万体にも及ぶ石仏が並んでいる。中でも唐代の則天武后をモデルに彫られた廬舎那仏は、奈良の大仏にも影響を与えたと言われている。伊河の東岸には「香山」と呼ばれる小山があり洛陽で18年の晩年生活を送った唐代の大詩人・白居易はここに眠っている。また、現存する中国最古の仏教寺院の白馬寺、三国志の英雄関羽を祀る翰林廟などがある。

洛陽牡丹ホテル

ホテル自室からの洛陽市街

洛陽市内のトローリーバス
龍門石窟

 竜門石窟は、北魏の孝文帝・元宏年間(471〜499年)に造営がはじめられた。その後も東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐、五代、北宋などの歴代王朝が、400年以上も開削をつづけてきた。そのうち、北魏と唐の時代に造営されたものが最大の規模である。竜門の洞窟で、北魏時代のものは全体の30%、唐代のものが60%を占めている。その他の時代に造られたものは、わずか10%ほどである。 統計によれば、竜門に現存する石窟は2345、石像は11万体あまり、仏塔は70以上、銘文や図などが刻まれた石碑は2860あまり、残されている文字史料は30万字以上。中国においても、古い石碑がもっとも多いところだという。2000年11月、竜門石窟はユネスコの世界文化遺産リストに登録された。
 北魏の太和17年(493年)、孝文帝は北方の大同にあった都城を、中原の洛陽へ移して中国を統一、長年にわたる大業の夢をかなえた。遷都の際に、仏教を崇拝していた孝文帝は、仏教の中心地を大同から洛陽へ移すことを忘れなかった。つまりこの年に、竜門西山の南側にある天然の鍾乳洞において、竜門石窟の造営がはじめられた。それが「古陽洞」と呼ばれる洞窟である。
龍門石窟のガイドは、洛陽龍門石窟国際旅行社の趙虎龍さん。


対岸から望む龍門山南部、手前は伊河

龍門

龍門橋

北魏時代に造られた洞窟のうち、代表的な「賓陽洞」という洞窟は皇室の風格をもった典型的な洞窟でもある。「賓陽」という名は、「太陽を迎える」という意味である。洞窟は、南洞、中洞、北洞の並列した三つの石窟からなり、北魏の宣武帝がその父・孝文帝の功績をたたえるために造ったものだ。


賓陽3洞、(賓陽北洞、賓陽中洞、賓陽南洞)

賓陽洞の中洞入口左の壁面刻されている「伊闕仏龕碑」
痛みがひどいらしくレプリカが置かれてました。

古陽洞は、竜門で初めて開削された石窟なので「竜門第一窟」とも呼ばれている。竜門石窟のなかで、もっとも仏教的な内容に富み、書道芸術にも優れた洞窟である。洞内は柵で囲まれて立ち入り禁止となっていたが、特別許可(料金350元・¥5500円)を払って拝観した。勿論撮影禁止であったが・・・・・
造営当時、北魏の皇室や貴族、官吏、僧侶らは、この洞窟に龕(仏像を納める厨子)や仏像を造った。それらは内部の壁から天井に至るまで大小さまざま、多種多彩に造営されて、洞窟全体が華麗かつ壮観なものとなっていった。そのうち、もっとも価値があるのが、洞窟の壁に刻まれた仏像の銘文である。ここには世にも名高い魏碑書道の逸品『竜門20品』の19品がある。


古陽洞入り口(入場料350元:\5500)

古陽洞内部

古陽洞北壁の始平公造像記

古陽洞南壁の孫秋生造像記

竜門西山の南部の山腹にある「奉先寺」は、盛唐時期に造営されはじめ、唐の第3代皇帝・高宗の上元2年(675年)に完成したとされている。高宗がその父・太宗の冥福を祈るために造ったもので、武則天(則天武后、高宗の皇后)の資金援助もあったとされる。もとは「大盧舎那像龕」と呼ばれたこの露天大龕は、南北の幅が約40メートル、東西の奥行きも約40メートルと、竜門石窟のなかでも最大の石像である。

 その大龕には、大型の立体彫像があわせて9体造られている。正面壁中央に主仏の盧舎那仏が、その左に弟子の迦葉菩薩と文殊菩薩、右に弟子の阿難菩薩と普賢菩薩がそれぞれ配されている。南北両壁には、天王と力士が一体ずつ彫られている。

慈悲深い顔立ちの盧舎那仏は、高さ17.14メートル。仏経において、盧舎那仏とは「諸悪をとり除き、衆徳をそなえ、浄色があまねく法界(衆生の本性)を照らす」という意味をもつという。そしてそれは、老成して慎重な迦葉、温厚でかしこい阿難、おだやかで美しい文殊と普賢、勇猛果敢でりりしい天王、勢いのある力士とともに、規模壮大な芸術群像をつくり上げ、盛唐時代の高度な文化を現している。


奉先寺洞の盧舎那仏

『竜門20品』の1品である慈香窟の比丘尼慈香慧政造像記。
柵外から垣間見えた造像記の一部分。
香山寺

伊水を挟んで東側の龍門東山のある香山寺

香山寺の境内にある「天壬殿」
白居易のお墓は香山寺の隣「白園」にある。
白居易、中唐の詩人、字は楽天、号は香山(772年〜846年)享年75歳。
晩年の白楽天(白居易)は香山居士と称してここ香山で自適の生活を過ごした。
墓碑「唐少傅白公墓」
洛陽博物館

洛陽博物館

唐三彩の陶器
白馬寺
白馬寺は中国仏教の発祥の地と言われている。
後漢の時代、インドから摂摩騰、竺法蘭という高僧が白馬に経典と仏画を持って洛陽に入り、朝廷に迎えられた。紀元68年に白馬寺は、皇帝・明帝が彼らのために建立したものでのちに、白馬寺と呼ばれるようになった。(後漢書・西域伝)

白馬寺山門

山門の前の白馬の像

戻る