山形・庄内平野・酒田の旅
平成22年6月19日〜21日

37回上葭会同窓会(横浜)を終え、一人山形の庄内平野・酒田を旅してきました。
東京発 10:12(上越新幹線) 新潟着 12:19
新潟発 12:34(白新線・羽越本線:JR特急いなほ5号) 酒田着 14:44
酒田は江戸時代、最上川の河口の港町として栄えた。
西回りの航路で年貢米や紅花を積んだ北前船のが出航し、海運交易で発展した山形県唯一の港湾都市である。

上越新幹線は2階建、自分の席は1階で、目の高さがホームから30cmの位置、沿線の風景も遮音壁に阻まれて眺めは最悪でした。
帰りは必ず2階にするぞ!
(人物は見知らぬ人)
 

新潟〜酒田間、越後早川〜あつみ温泉付近の沿線風景
 

酒田駅舎
本間美術館(本間家旧別荘・新館)

鳥海山を借景にした鶴舞園
日本一の大地主といわれた本間家が所蔵する美術工芸品を展示している。
「清遠閣」とその庭園「鶴舞園」からなる。

奥に見えるのが清遠閣

池に浮かぶ睡蓮
    
山居倉庫(さんきょそうこ)

明治26年(1893)建造の酒田米穀取引所の付属倉庫。
現在も倉庫として現役。

山居倉庫とケヤキ並木
夏の西日と強風を防ぐため欅が植えられた。

ジオラマ
  
庄内米歴史資料館(山居倉庫の一部)

農家から持ち込まれた米を検査している風景

「おしん」のふるさと



山居倉庫はNHK朝のテレビ小説「おしん」のロケーション舞台になりました。


山王くらぶ

明治28年建築の酒田を代表する規模と格式を持った元料亭。
各部屋ごとの組子建具、床の間などは銘木をふんだんに使った優れた意匠となっており、北前船の寄港地として栄えた酒田の歴史や来酒した文人墨客を紹介している。
    
旧鐙屋(国指定史跡)
鐙(あぶみ)屋は酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代を通じて繁栄し日本海海運の大きな役割を果たした姿を今に伝えております。
本姓は池田、領主最上義光から鐙屋の屋号を与えられた。
井原西鶴の「日本永代蔵」にその繁栄ぶりが描かれている。
(酒田市教育委員会編集のパンフレットによる)

客人をもてなす台所

客人に出した料理
左より 酒器と杯、里芋と蛸の煮物、平目の刺身
飯、奈良漬、なめこと豆腐の汁
鯛の浜焼き(右端)
 
本間家旧本邸

豪商の面影を今に残す・・・

本間家旧本邸は、三代三丘が幕府巡見使一行の本陣宿として明和五年(1768)新築し、荘内藩主酒井家に献上し、その後拝領した。

「本間さまにはおよびもせぬがせめてなりたや殿様に」と詠われた本間家の旧本邸。表は二千石旗本格式の武家屋敷で、その奥は商家造りとなっている極めてめずらしい建築様式の建物。

内部は撮影禁止のため画像はありません。

道路を挟んでそれらしき建物があったがお土産さんでした。
  
旧割烹小幡

映画「おくりびと」NKエージェントの社屋として使われた建物
  

日本最古の木造六角灯台  
日和山公園
酒田港を一望できるこの公園は船頭たちが日和を見た丘で、日本最古級の木造灯台や方角石、常夜灯など多くの遺物が点在しています。

また、日和山公園には全長1.2Kmにわたる散策道に、全29基の文学碑が建てられている。
江戸時代から昭和にかけて、酒田を訪れた文人墨客と酒田にゆかりのある文学者などの碑だそうです。

常夜灯

中央のひょうたん池の千石船(縮尺1/2)

日和山公園パノラマ写真



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