Chiang Mai

チェンマイの旅

2002年9月9日〜12日
 
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Lan Na
(ランナー)

北部タイは、ランパーン、ランプーン、チェンマイ、メーホンソン、チェンライ、パヤオ、ナーン、プレーのことを指す。これらは、約100年前にシャム王国に統一される前はランナー王国に属していた地域である。そして百万の稲畑という名のごとく、ランナーには豊かに繁栄した王国・ランナー王国が存在した。
肥えた土地と豊富な天然灌漑システムは各地から多くの移民を引き寄せ、ランナーは他の地域と異なる様々な文化の混じりあう融合都市へと発展していく。川沿いに形成された村は次第に小さな町となり、上に挙げた八つの都市になっていった。
チェンライのメンライ王によってランナー王国が始まる以前はランプーン県のハリプンチャイが北タイ最初の最大都市であった。メンライ王はハリプンチャイを支配したのち、ランナーの中心を1296年、新しくチェンマイに移しランナー王国を建立した。これがランナーの始まりである。
1558年にビルマ軍に攻撃された後、1796年ランパーンのカビラ王によってチェンマイが取り戻されるまで、ランナー王国はビルマの支配下に置かれる。
タイ北部の大部分は丘と標高200〜2500メートルからなる山で覆われている。豊かな森林を水源に四つの川(ピン、ワン、ヨン、ナーン川)が流れている。四つの川はタイ人の生活源であるチャオプラヤ川となる。北タイの中心都市のほとんどが川の近くで発展してきた。最大の川であるピン川のあるチェンマイはそのため過去から現在に至るまでずっと北タイの中心都市として栄えてきた。

チェンマイはバンコクに次ぐ最大都市である。
バンコクから北へ710Km、飛行機で約1時間。「タイの京都」とも呼ばれる北部タイの玄関口である。




9月8日 福山発10:05、東京着14:16
山手線にて池袋、西武線にて「とある駅」、娘家族3人の出迎えを受ける。
9月9日 5:00起床、6:00出発。西武線にて池袋、山手線にて日暮里、京成スカイライナーにて成田空港へ。
9:00頃、成田空港第二ターミナル着、宅急便QLライナーにて荷物受け取りチェックイン。



11:00 TG641便にてタイランドへ出発。航空機はA300型、右隣の席が空席であったので、比較的に楽な機内であった。

離陸は30分くらい待たされて11:30頃、4時間30分の空の旅。
バンコク空港で乗り換え、国内便TG116便(17:15発)にてチェンマイへ。18:25 チェンマイ着。
空港内で両替え、出口にてLooKJTBの現地ガイドと会い、チェンマイ・プラザホテル着。



夕食は、ダイアモンドホテルの入り口前の「カニータ」でタイ料理、ルックJTBのガイド推薦の店。
食べた料理は、トートマンプラー(魚肉のさつま揚げ)、トムヤンクン、他色々。
トムヤンクンは、ペットニンノイ(辛くしないで)と注文。

ホテルに帰り翌日の観光の手配を行う。
ホテル入り口にたむろしているタクシーの運転手に掛け合う。1日1000バーツを600バーツに値切り翌日の約束をする。
ちなみに、ホテルで頼むと1500バーツであった。
9月10日 8:30ホテル発、メーサ・エレファント・キャンプに向かう。

エレファントショーの観覧席
手に持っているのは、象さんにあげるエサ(バナナとサトウキビ)

立ったり、座ったり、逆立ちしたりして象のご挨拶

  

恐る恐るさわってみた

象の背中に揺られて・・・・
帰りに「スネークショウ」に寄るが、英語での説明が面白かったと娘たちが言う。
蛇は嫌いなので画像は省略。どうしても見たい人はここをどうぞ。
その後、サンカンペーンの陶器の店、銀細工の工場、宝石の加工場などに立ち寄る。
孫たちはホテルのプールで水泳を楽しむ。

夕食はオールド・チェンマイ・カルチャーセンター(Old ChiangMai Cultural Center)でカントークディナー。
北部タイ古典舞踊とカントーク料理のセットをタクシー運転手が予約してくれる。

北部タイの伝統料理・カントークディナー、少ないように見えるが、食べるといくらでも追加してくれる。
ケップ・ムー(豚の皮をカリカリに揚げたもの)は珍しかった。

キンキラキンのタイダンスとは一味違う踊りです。
  

    

北部タイの少数民族「ヤオ族」?の踊り。

これは間違いなく「ヤオ族」
帰りに運転手の紹介でタイマッサージに行く。


チェンマイの旧市街を少し東に行った通りは、毎晩18〜23時頃まで左右の歩道にずらりと露天が並び、観光客から地元の人まで集まるナイトバザールに変身します。
ホテル(チェンマイ・プラザ・ホテル)のすぐ傍でした。








9月11日 ワット・プラタート・ドイ・ステープ(Wat Phra That Doi Suthep)
標高1080メートルにあるこの寺はチェンマイの町のシンボルであると共に、地元の人々の礼拝の中心地となっている。

山の途中からチェンマイの町を見下ろす。

  

  

寺の頂点に行くには306段の階段を登る。
ケーブルカーもある。

両サイドには色鮮やかな陶片を嵌め込んだ蛇神が飾られている。
306段の階段を登り、門を入ったところの場所です。
ここで、靴を脱ぎ素足になります。ミニスカートの女性は腰巻のような布を借りて腰に巻き、ノースリーブの方もスカーフのような布を肩にかけます。
その後10段くらいの階段を登り、本堂のある囲まれた場所に入ります。



お寺の中央に位置する黄金の仏塔。
高くそびえる黄金の仏塔は町からも鮮明に眺めることが出来る。

本堂の内部。

 

本堂で、お坊さんの前に座ると、水をかけてお祓いをしてくれ、手首に白い紐を結んで頂きます。お賽銭は5バーツ。
女性は左隣のオジサンに結んでもらいます。
タイの僧侶は女性に触れないため。

黄金の仏塔の前の黄金の仏陀像。


 

山から下りて、ワット・スアン・ドーク(Wat Suan Dok)
僧侶のための庭園として建てられた、スアンドーク(花園)の名前はそこからきている。
1371年の建設以来、何回も修復を加えられてきた古代寺院。

仏堂の中には、巨大な仏像が小さな複数の仏像と共に安置されている。

   

祭壇の後ろで勉強に励む若い僧侶は近くのチェンマイ大学の学生であった。
「日本の方ですか?」と声を掛けられた。
流暢な日本語は独学とのこと、卒業後は英語のガイドになりたいと。(真ん中の僧侶)

白い仏塔の数々はランナー王国時代の貴族階級の人々と仏教指導者達のお墓。

仏塔頂上付近に詳細な彫刻が施されている。
  

ピン川の東側の、チャルンラート通りで娘たちは買い物。
昼食はナイトバザールあたりのシーフードレストランで、川エビの炭焼き等。

アツアツの焼きたてをソースをつけて食べると
それは、それは美味しい・・・・

昔から私の大好物でした。
(実は今回で私のタイ旅行は10回目です。)

昼食後は精力的に市内の古寺巡り。

ワット・プラ・シン(Wat Phra Sing)
1345年、パユー王によって建立されたチェンマイ最大規模の寺院。
チェンマイで一番の格式のあるお寺。
寺の名前の由来となった黄金のプラシン像は、スリランカからもたらされたとされている。
本堂内部のフレスコ壁画はタイ民族伝承が描かれていることで有名である。

ワット・チェディ・ルワン(Wat Chedi Luang)
旧市街のほぼ中心に聳える偉大な仏塔。
1391年、セーン・ムアン・マー王によって築かれた寺院。
建造当時は86mの高さがあったが、1545年の地震により崩壊し現在は60mとなっている。
仏塔の四面には仏像が安置されている。

境内より仏塔を見る。

 

水牛の皮製の壁掛け 縦32cm x 横24cm
仏塔のそばのテントでうら若い女性が
一心に、鑿と金槌で水牛の皮に仏陀を彫っていた。

見落としたところを思い出し、もう一度旧市街から北に30分ほど走る。

ワット・チェ・ヨット(Wat Chet Yot)
七つの塔という意味を持つ1477年建造の寺院。

壁面に装飾されているレリーフが素晴らしい。
漆喰作りなので少しずつ脱落している。

ヒンドゥー建築に影響を受けた仏塔とランナー式の装飾が見られる。

漆喰作りの女神像。

敷地内は発掘調査されたような跡があった。

再び、旧市街に戻る。
ワット・チェンマン(Wat Chiang Man)
1296年、チェンマイの建国と同時にメンライ王によって建てられた。
仏教の象徴である象の彫刻に囲まれた仏塔には、スコータイ建築の影響がみられると言われている。
仏塔の中の壁面にはランナー初期の町の様子が描かれているそうな。

仏塔

仏塔は象の彫刻で囲まれている

本堂内部

トクトクの運転席でご満悦の孫。

夕食はホテル隣のレストラン「Whole Earth」でタイ料理。
9月12日 8:30ホテル発、チェンマイ空港よりバンコクに向かう。
機内で自分の席の天井より水漏れ、後方の空席に替わる。多分空調の結露水だと思う。


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