
大綿津見命 (おおわたつみのみこと) |
大綿津見命を祀られ、海路の安全を祈られたのが当社のはじまりです。 |
大綿津見命は、海に関する事を統治される神様で、海上を航行する者、漁業を営む者が特に崇敬されます。 |
神功皇后、西国より都へ帰られる途中、再び御召船を此の浦に寄せられ、先年おまつりになった大綿津見命の大前に、常に身につけておられた「鞆」(昔、弓を射るとき使った武具の一種)を奉納されてお礼を申され、御妹君、虚空津姫命を此の地に留め祭主としてお仕えさせられた。これにより此の浦を「鞆の浦」と呼ぶようになったと伝説があります。又虚空津姫命は淀姫命とも申され、今、鞆港の入口の丘の上に淀姫神社として、何時の頃からかまつられています。 |
![]() |
稜威の高鞆(いづのたかとも)
社務所に掲げられている絵画です。 |
![]() |
第二鳥居(肥前鳥居) 重要文化財指定(県) 珍しい形の石鳥居。普通は、明神鳥居と呼ばれる形ですが、上部の笠木の形が変わっています。 |
![]() |
"鳥衾"(とりぶすま) |
![]() |
随神門
随身門ともいい、随身は左大臣(向かって右)といい、冠をつけ兵杖を帯した衛士と矢大臣(向かって左)といい、剣を帯び矢を負うた衛士があります。享保20(1735)年の建造物です。 |
![]() |
拝殿正面
平安時代初期(800年代初め)に遷宮されたと言われる「鞆祇園宮」は明治四年に全国の社(やしろ)を官、国幣の別に社格を分けるに当たって、延喜式内の古社と認め、国幣小社に決定されました。 |
![]() |
拝殿本殿側面 |
![]() ![]() |
石燈籠一対 重要文化財指定(市)
拝殿前の左右にあり、慶安4年(1651年) 水野勝貞寄進。 |
![]() |
拝殿の右に祀られている神社
左から |
![]() |
力 石 重要文化財指定(市)
力石は吉凶を占うことから始まったといわれています。 |
![]() |
能舞台 重要文化財指定(国)
この能舞台は、豊臣秀吉が配下の将兵の長期の戦場での慰安用に造られたもので、簡単に分解して移動できました。 |
![]() |
能見所
能舞台の正面にある建物は能見所です。 |
![]() |
翁の面 (市重文) 豊臣秀吉所用の面(桃山期)と伝えられている。 資料提供:鞆の浦歴史民俗資料館 |
| 説明文は沼名前神社社務所編の「沼名前神社略記」と 鞆の浦歴史民俗資料館編の「鞆の浦の自然と歴史」を参照させて頂きました。 |