上葭会の歩み
同窓会誌「かみよし」第二集より抜粋
** 実在六年の大連上葭国民学校と同窓会二十年**
私たちの母校・大連上葭国民学校は昭和16年4月1日、国民学校令公布のその日に誕生した。
まだ校舎もなく、下藤校の一部を仮校舎とし、教職員は金子校長先生を始め8名、生徒は第4学年が最上級生であった。昭和17年には待望の新校舎 ―未完成の一棟のみで終わった― もできて引っ越した。校区の児童数も増え、教職員も二十有余人数えた。
母校・上葭の名を大連中に轟かせた快挙がある。それは昭和19年1月、小学生のアイスホッケー大会で優勝したことである(一回生、六年のチーム)。
戦後の混乱期の後、校名も日僑第十一小学校として昭和21年末まで継続、引き揚げ開始と共に在校六年の短い歴史を閉じた。この間、三回生までは卒業し、在校生は四回生から九回生までである。
以上抜粋終わり
校 訓
- 礼儀
- 礼儀正しく
- 親和
- 仲良く
- 奉仕
- お役に立つ
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戦後、昭和48年に第1回生の先輩達により、同窓会が設立されました。
大連上葭国民学校同窓会の上葭会は毎年6月の第2、月曜日・火曜日に開催されております。
卒業生も今では高齢化して「インターネット」を見る方も稀だと察します。大連に関わりのある方がいらっしゃいましたら、知らせてあげて下さい。
上葭会は、関東、関西、九州地区持ち回りで開催されております。
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