7月29日(土) |
済南・山東省博物館 |
済南・山東省博物館 |
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山東省博物館は山東省の最大の総合博物館で全省の素敵な文物を収納している中国でも有名な博物館である。
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山東省博物館見学後泰安へ、車で30分 |
泰安市は山東省中心部に位置している中型都会で、その北部に聳えているている泰山のため、知名度がたかまりました。泰山は中国古代歴史では影響力の一番強い山で、泰山は中国人の信仰の山、中国歴史の運命と深い関係のある山と言っても過言ではありません。秦の始皇帝の前に72名の帝王が泰山に登り、封禅の儀を行いました。秦の始皇帝は自ら泰山に登り、中国統一の功績を天の神様に報告しました。それ以来、歴代の皇帝は泰山に登りました。中国では一つの有名な言葉があります(山は高くなくても仙が居れば、名になる)。標高1545メートルの泰山は中国では絶対高山と言えませんが、でも、その特別な地理位置と雄大な姿はその知名度を高めました。中国5大名山の一番目と言われています。(東岳泰山、西岳華山、南岳衡山、北岳桓山、中岳嵩山)泰山は歴史上では天と地の接合しているところと信仰され、歴代帝王が天と会話する場所になりました。泰山が安らかになれば、天下が安らかになると言われますから、この町は泰安と呼ばれるようになりました。歴代皇帝と文人墨客のよく訪れた地だから、山と麓には、沢山の遺跡が残っていて、国連に世界文化と自然遺産に指定されました。中国5000年の歴史は泰山にまとめられたといっても過言ではありません。登山コースは2本があります。登山道コース階段7300をチャレンジします。中腹の中天門にはロープウエーステーションがあります。また、西のバス登山道があります。中天門からロープウエーに乗り換えられます。もう一本のロープウエーは桃花源ロープウエーです。自然風景の綺麗な後ろ側にあります。
(参照:青島海天国際旅行社のパンフレット) |
泰安は中国五岳の一つである泰山観光の拠点です。ロープウェイ等を利用して登山しますが、約半日の行程になるため、遠くから眺めるだけにして省略しました。 |
泰安・岱廟 |
岱廟は中国歴代帝王が泰山祭りをした場所で、秦の始皇帝が泰山を訪れる前に存在した中国最も旧い道教の建築です。
そのほか廟内には李斯の泰山刻石や歴代名書家の石碑が所狭しと並び、書道を愛する人にとって必見の場所でもあります。
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岱廟の門前に通じる参道 |
厚載門 |
銅亭全て青銅で造られている。
銅亭は明の時代泰山頂上に作られたもので、中国3大銅亭の一つです
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天ケイ(貝兄)殿
天ケイ[貝兄]殿は北京・故宮の太和殿、曲阜・孔子廟の大成殿と並んで、中国3大宮殿の一つに数えられています。本殿のなかには、長さ62m、縦3.3mの巨大な《啓蹕回鑾図》(けいひつかいらんず)の大壁画が描かれ、当時の封禅の様子をうかがい知ることができます。 |
室内に展示されている石碑
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天ケイ殿前の小さな露台
真ん中の木は漢柏樹、2千年以上の樹齢とか。 |
岱廟の碑林 |
岱廟の巨大な石碑 |
李斯の泰山刻石
今回の旅の大きな目的の一つがこの刻石であった。
しかし、ガラスに覆われて写っているのは人影。 |
漢字の起源
中国の殷代の文字は、甲骨に刻したものを甲骨文といい、銅器に鋳込んだのを金文という。
甲骨文は、亀甲や牛骨に文字を刻み火の上で炙り占いに使用した。
その後、殷は周によって滅ぼされ、周には亀卜いの習俗はなかったので、これ以後、甲骨文はなくなる。
殷代の最初に銅器に鋳込まれた銘文は図形文字であった。
春秋戦国時代になると、銘文は次第に簡略化し、書風は特殊なものがつぎつぎに生まれ、奇字・鳥書・錯金書などの細長い字体が斉・許・除などの諸国で盛んに行われた。
紀元前221年、秦は500年に及ぶ戦乱の時代を統一した。秦王政が自ら「皇帝」と称し、中国を支配する唯一の統制者であることを確立した。
同時、国内統治するため、度量衡の統一と全国共通の文字を定めた。 当時、秦の地方で使われた書体は大篆で、(現存する最古のものは石鼓文である)字画が複雑で書くには不便であったので、丞相李斯は始皇帝に命じられ、大篆を改良して新しい書体「小篆」を作成した。
紀元前219年、東方諸国を巡視した始皇帝は、自分の功績を述べたたえた文章を石に刻ませ、泰山の他全国6ケ所の山に建てさせた。これが石碑の起源と言われる「秦始皇刻石」で、刻石の文字はもちろん標準書体の小篆である。しかし、これらの石碑はあまり長い年月を経ったので、石がしだいに磨滅してしまった。現在に残るのは、泰山刻石、琅邪台刻石のごく一部である。
泰山刻石は元は泰山の頂上にあったが、その後岱廟に移された。摩滅が激しいので現在はガラスに覆われて保護されている。 |
後花園の玲瓏石 |
泰山を遠くに眺めながら曲阜に向かう。 |
曲阜 (曲阜から書道専門のガイド修さんが付きました) |
曲阜・孔子廟の全景
青島海天国際旅行社のWebページより(画像・文とも)。 |
曲阜は済南から南に135キロほど離れていて、北には泰山があります。総面積895.93平方キロ、人口は65万人です。その中の20%は孔子の子孫だそうです。
曲阜は、中華民族の先祖―黄帝の出身地で、春秋戦国時代に魯国の都として800年にわたり栄華を誇っていました。魯は周王朝建国の功臣「周公旦」によって建てられ、長く文化の中心として栄えた。また、曲阜は中国の儒学の創立者、教育家・孔子の故郷です。
曲阜の孔廊、孔府と孔林は「三孔」と呼ばれ、 北京の故宮、河北省承徳の避暑山荘と並んで、中国古代3大建築群の一つです。1994年に「三孔」は、ユネスコより世界文化遺産に指定されました。
旧市街には孔子廟本殿より高い建物がありません。これは孔子を尊敬するためです。整然する街と路地、灰色の中国古典式の瓦、派手に飾っている馬車タクシー、純朴な市民の笑顔を見たら、「これは中国らしい」と感嘆するはずです。 |
孔子像 |
論語:抜粋
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。
[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人にはできないことだから。]
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孔林(孔子林)見学 (孔子林とは孔子一族の墓地) |
至聖林門前の賑わい |
至聖林門 (至聖とは孔子の別名) |
参道の土産物店 |
参道のハンコ屋さん百軒近く有ったようです。 |
二林門 |
洙水橋坊 |
笑っている狛犬 |
孔子の墓 |
孔子の孫「子思」の墓
「子思」は孟子の先生 |
馬車タクシー |
曲阜のホテル「闕里賓館」 |
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曲阜のホテル「闕里賓館」は三つ星ながら、伝統的な古典建築の2階建てで今回の旅では最高のホテルでした。
客室も清潔でツインルームで設備も整っていました。
宿泊費30$(\3600,朝食付)。
当日は、ドイツの国から大勢の車のツアーが泊まってました。ドイツからシルクロードを経て延々と車で来たようです。
クラシックカーから、最新の車まで色々揃ってました。
車がいっぱいのお陰で、ホテル正面からの写真撮影は出来ませんでした。 |
孔府料理 |
初めに出てきた飾り |
きゅうり |
スイカの種 |
ハムのようでした |
杏 |
ピータン |
エビ |
干し海鼠の煮付け |
スッポン料理 |
孔府料理は歴史が永く調理方法が優れ、独特な風格があり、中国でも最も長く続いてきた典型的な役所料理である。歴代の皇帝は曲府に来るときよく食べたから、中国の有名な満漢全席の重要な部分になった。(パンフレットより)
初めに出てきた飾りは甘酸っぱい果物で出来てました。
特に気に入った料理は干しナマコ煮付けでした。
1人前約20$(\2400)。
通常の定食料理は8$(\960)位でした。(旅行社に支払った費用)
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曲阜の野外劇場での観劇 |
曲阜の城壁を模した大きな野外劇場「杏壇劇場」で今回唯一のオプショナルツアーを観賞しました。(参加は3名のみ)
”杏壇聖夢“ 200名を超す出演者が、城壁の上や通路まで松明を掲げての演出に圧倒されました。
スクリーンに中国語・英語・日本語・韓国語で解説してましたが、画面より舞台に目が行き、よく判りませんでしたが孔子の物語のようで、実際の馬車で本物の馬が出てました。東西の文化を紹介していたようです。
解説書が有りますが中国語なのでチンプンカンプンです。 |
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